理念
農業は自然と共生するのが良く、過剰に保護をしたりするのは良くないと思う。 今のままでは農業は成り立たなくなるから戸別所得補償などのてこ入れをする訳だろうが、これに頼っているようでは本来の農業の姿は失われるであろう。 弱肉強食の原野に放たれれば、ひ弱な生き物はたちまち餌食にされ滅んでしまうであろう。 自由放任が良いわけではないが、 農業の農業たる農業は可能であろうか。 昔は百姓と言う。すべてを含む意味か。
長い目で見ろ
事業主の考え方ひとつでその事業は成功するか否かが決まるとすれば重要である。 だがしかし国政の主人である総理大臣がその担当期間が半年も持たないようであってはいかに優秀な人であっても成果は見られないであろう。 民主主義の弊害であろうか、とかく外野がうるさい。政治とは足の引っ張り合いだ。桃栗三年柿八年という、種をまいて実がなるまで辛抱して待てと言わざるを得ない。
補助金に期待するな
補助金は政治的思惑を達成するためのものである。組織や団体にあればやむを得ないこともあるだろうが できることならそういうものと関係を持たないがいい。なぜなら必ず手枷足枷をはめられて自由が利かなくなる。権力に媚びることになる。
古代中国秦の富国強兵策として商鞅の改革がある。市場の南門にある材木を北門まで運んだものに賞金を与えるという。疑心暗鬼の民衆の中にこれをやり遂げるものが現れるとその者に約束通り賞金を与えた。また班を編成してその中の一人でも言うことを聞かないときは班全体に罰を与えるといういわば連帯責任を負わせた。こういうふうにして国家を政府の思い通りに動くように仕立てていった。秦はその組織的な駆動力を持って中国を統一するに至ったが間もなく民衆の中より反旗を翻すものが現れて滅びてしまった。
収量を上げようとするな
6アールに10俵採ろうとするよりも10アールに6俵採るほうが安全である。天候はいつも同じではない。雨の多い年もあり旱の年もある、収穫間近に台風にあうこともある。 過剰に繁茂した稲は腰が弱く、倒伏して品質が落ちることが多い。
自然には逆らわず
日が出りゃせっせと野良仕事
日暮れにゃねぐらで横になる
腹の足しには田畑の実り
のどが渇けば井戸を掘ってしのぐ
帝力我になんぞあらんや
(古代中国鼓腹撃壌歌)
晴耕雨読、社会的地位を欲せずに自然とともに生きよ。
米つくりは土つくり
農薬や化学肥料に頼らず、刈取り後の藁を鋤き込み、畜産農家から堆肥を搬入散布。秋うち(耕運)する。
更に草取りをすることも土に雑草の種をこぼさないという意味もある。また土を撹拌することは微生物による発酵を促すという意味もある。こうして土はトロリとした状態になる。(草取り時) 農薬は土の中の微生物を殺してしまう。微生物や酵素が繁殖する土を作るように心掛けることである。
衣食足りて礼節を知る
「人は食うために生きている。」としながらも食うことに満足したら何をするだろうか?
「人はパンだけで生きるものではない。」であるならば他に何があるのか?
いま日本国は主食であるコメが余っているという。そうでありながら社会は安定しているだろうか?
皆が幸福な生活をしているであろうか?
世界中が衣食足りているとしたら皆が仲良く暮らしていけるだろうか?
こだわりの米
乾燥に関しては石油も電気も使わないエネルギーの節約になる(放射能を出さない、二酸化炭素を出さない、自然にやさしい)。そしてできた米は風味があっておいしい。
人は口先だけでは何とでも言うことができる。だが実際に行動するとなると出来ないというのがほとんどである。たとえば『原子力発電反対!』、『地球温暖化対策として二酸化炭素の排出規制に協力しよう!』などなど。鎌で刈って束ねて稲架に掛け、また取り入れ脱穀するなどその労働は貴重である。
困難に直面したら基本原則に帰れ
『自分とはいったいなんなんだろう』と思う
そもそも人としてこの世界に生まれた
世界も人も長いいきさつを経て現在がある
人は生きるために食物を確保する
その食物は土に種をまき水をかけ日を浴びて育ち実を結び獲られる
自分は自然の中に生まれ育ち、自然を守り、自然に還る
それだけのことである
生物多様性そのままに!
6次産業
1次産業(農林漁業)、2次産業(工業製造業)、3次産業(商業サービス業)で1から3まで通して(1+2+3)運営される産業を6次産業という。
要は生産から加工販売までを自分で行う。農業にはこれが可能である。決して悲観するものでないと思う。